ザ・ピーナッツ・十周年


ことしもよろしく
“これから一年、芸能界ではどんなことが話題になるだろうか。
歌に、芝居に、映画に、人それぞれ思惑と決意を胸に秘めて
新年を迎えたことだろう。
その中から・・・(少し省略)
十周年記念特別公演を開くザ・ピーナッツに登場してもらった。”

朝日新聞 1969年(昭和44年)1月12日(日曜日)記事より
ザ・ピーナッツ
下旬に十周年公演

歌った曲は千五百曲越す

ザ・ピーナッツは、この2月で11年目を迎える。
化粧が濃いのは舞台用のメイクをしてるからです(笑)
それに先立って1月22日から二週間、
東京・有楽町の目劇で特別公演「世界を駆ける可愛い花」を開く。
ちょうど十年前の二月、初舞台をふみ、芸能界にデピューした場所。

ゲストにも布施明、西郷輝彦、ピンキーとキラーズ、ザ・タイガースなどを
かわるがわる迎える予定だ。

十周年の感想は−

エミ(姉)「気がついたら十年過ぎてた。人間って、苦しいことは忘れちゃうのね。
思い出しても楽しいことぱかりだわ」
ユミ(妹)「そうね、,これをやりなさい。といわれて、つらい時もあったけど、
仕事がうまく行くと、そんなのは吹飛んでしまう」
エミ「ちっちゃい時から歌は好きだった、まさかそれが職業になるとはね……」
ユミ「もう何曲歌ったか覚えてないわ、テレビのレギュラー番組が週二本でしょ。
そこで必す新しいを出すから…ええと」
エミ「週に最低三曲は新し歌があるわね。すると、もう千五百曲以上かな。

もちろん一回ぽっきりきりのもあるし、全部、レパートリーになってるわけじゃないけど」
工ミ「踊りができるようになったのはシャホン(日本チレビ系「シャポン壬ホリデー」)のおかげね。自分のテレピ見たこと?あるわよ」
ユミ「ほかの人のとくらぺて見て刺激になるわね。
だけど踊りではドイツに行った時にイピられたわね」
エミ、「一生懸命やっても、“きょうはおばあちゃんみたい”だなんて。
翌日がんばってやると“きょうはおかあさんだ”とチビチビしぼられたなあ。
もっと若々しくやれということなんだけど。
ユミ「時には抵抗して、わたしたちは歌手で踊り手ではないなんて思ったこともあるわ」
エミ「遊ぶヒマもないけど、ゴーゴーをみに行ったりしてる。
流行に遅れないようにね」
ユミ「ほんとに遊びたいときは、やたらいそがしかったから、
もう遊んで歩かなくなっちゃったのかしら」
エミ「十年だもの、歌に責任をもたなくちゃあ。それにもう年ごろだし、
理想の男性がいたら結婚したいと思ってるんだけど、みつからないんだなあ」
ユミ「そうねえ」
そばから中尾ミエが「私たち、みんなその点はだらしがないんだから」と笑った。



新聞記事提供:籾山幸士様

籾山さんは九重佑三子さんがやられた
初代「コメットさん」のページを作っておられます。
β星より愛をこめて
みなさんも九重コメットさんへの思い出を語りましょう。

尚記事に関しては原文のまま掲載しました。


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