あなたのザ・ピーナッツ

1963年5月29日

大阪フェスティバル・ホール
 ●ザ・ピーナッツ
  1. ふりむかないで
  2. マラゲーニャ
  3. カモン・マイ・ハウス
  4. ブルー・キャナリー
  5. こっちを向いて
  6. 心の窓に灯を
  7. 恋のバカンス
 ●園 まり
  1. ばらの乙女
  2. 太陽はひとりぼっち
  3. グッド・バイ・ジョー
  4. 燃える太陽
 ●鹿内タカシ
  1. あの娘だけは
  2. 稲妻の恋
  3. ウエディング・ベルをかきならせ
  4. ランブリン・ローズ
  5. 戦場の恋


◆プログラムに載っているカテリーナ・ヴァレンテとの京都でのひとときを紹介した文章◆

 
「いっしょう忘れない」 とザ・ピーナッツは声をろえていった。
竜安寺一金閣寺一西陣織物舘一祇園、というまるで外人向き日本旅行会推薦のようなコースだったが、先生でお姉さまの歌手カテリーナ・バレンテ、そのご主人のアロー氏といっしょに楽しく見て回ったあとのエミ、ユミの感概である。
「朝から晩まで舞妓さんのカツラにダラリの帯をつけさせられ、ポックリで歩き回ったさかいつらいおすやろ」とそばから皮肉な水を向けられて、それでも素直に 「あれ、映画(東宝、うちら祇園の舞妓はん、)のおケイコだから−−。でもちょっぴりそれも あるかな」
コックリうなずきながら笑った。

 ”歌う通訳”カテリーナ・バレンテは4月中ずっと日本各地を公演したが、そのときの条件に週1回の休日があった。第1回は4月16日神戸公演の前日、これが雨で夜にキャバレー”M”をちょっとのぞいただけ。
第2回目がザ・ピーナッツとの京都の休日というわけ。ところがこの日も古るい言葉でいえば”降りみ降らずみ”という日和。
「4月の日本は好天で景色がいちばん美しいとスチュワーデスがいってたのに、こんなに雨が多いなんて−。渡辺さん(プロモーター)にお陽さまを出してもらうよう交渉しなきゃ」というバレンテの冗談にエミもユミも気の毒そうな表情。それでも羽田についたとき以来、レセプション、この京都といちばん観迎してくれているザ・ピーナッツを案内役に しての一日だけにバレンテの方は、お薄茶、石庭、金閣の庭、西陣織の実演の器用な小手 先仕事、祇園のお茶屋の日本酒とあでやかな舞妓さんたち、などに大よろこびで、あの大きな美しい眼をキョロキョロさせていた。

 修学旅行の生徒がバレンテの方を知らずに「アッ、ピーナッツだ」ととりかこむ。バレンテと同行しているふたりの聴業カメラマンがピーナッツとバレンテの表情を、たえずカメラで追いかける。これも同行の志摩夕起夫氏が 「あのふたりはライフ誌などと契約してる人で、バレンテを専門に世界中ついて行くそう。
この前の同行記でライフの原稿料がなんと1,200万円。ひとり60O万円というからオドロキですよ。僕なんかアメリカから帰って日本の雑誌にカラー写真を提供したら600円しかくれなかったのにね」と笑いながら語るのに、エミもユミも”へェー”といった顔。一日の案内役でエミもユミもバレンテという女性が、いかに健康な精神の持ち主で、しかも中国と日本を間違えるようないかがわしい知識の持ち主ではなく、東洋についてしっかりした理解をもっているインテリだということを十分に知ったようだ。「それと、もう一つ、バレンテさんて女性として以上に奥さまとして立派な方だわ」とエミがいう。もうすぐそうなる身の上だけに、ふたりともやはりそちらに目がいくらしい。

 いまさらいうまでもないが、ザ・ピーナッツとバレンテとは因縁が深い。というより、バレンテとその周辺の音楽人(例えばウェルナ・ミューラー)が彼女たちの方向と人気を決定して くれたようなものだ。
昭和34年の初のヒット「可愛い花」そして「情熱の花」etc.。夢にまで見たバレンテだっただけに、素直な彼女たちが、「いっしょう忘れない」 というのも無理のないところである。

 ザ・ピーナッツはことしで5年目になる。人気デュェットになったのはデビューすぐだが、日本の民謡の味からジャージーな感覚まで大きく幅を広げ、豊かで多彩なフィーリングをみせるように なったのは、3年目ぐらいからだろう。
スマイリー小原がそのころ、「最近のピーナッツのリズムへの乗りはすばらしい」 と語っていた。そのちょっとあと、披女たちは自分の家をもった。「おうちの庭から富士山が遠く見えるのよ」 とはしゃいでいた。もっとも付き人の話だと、富士山が見えるほど早く起きることは一度もないそうだが−。

 4年目に入って彼女たちはミュージカルを手がけだした。昨年8月梅田コマの私と私、がその新路線の幕開け。演技する面白さ、むずかしさを知りはじめたわけだ。
渡辺プロの”舞台−映画−レコード”という立体作戦の波にのって、ことしも8月に梅田コマで、茂木苧介作の”うちら祇園の舞妓はん”というライトミュージカルをやる。
バレンテがそういえば、「私は三度ほどブロードウェイ・ミュージカルの主役に誘われた。面白い台本で乗り気になったこともあるが、仕事が差支えてぜんぶキャンセルした。もっともどの作品もあまり長く続かなかったところをみると、私はキャンセルしてかえって幸せだったかもしれない(笑い)だがいまも出演する気は充分もっている」 と語っていた。不思議に路線の方向は以ている。

 最近・ザ・ピーナッツはバレンテに二つの恩返しをした。
その一つは宮川奉が作曲して、彼女たちが歌う「恋のバカンス」という曲を、バレンテにも歌ってもらったこと。もう一つはバレンテの最新のヒット曲「チャオ」を、彼女たちも日本語で歌い、バレンテがこの曲を日本語で吹きこむためのお手本に提供したことである。バレンテがザ・ピーナッツのことを「どの国で歌っても通用する」と評したのは幾分おセジがあるとしても、彼女をデビューからずっと育ててきた作曲家の宮川泰が「ピーナッツについていうことはもうなくなった」 という言葉ほ本当のものとして受取ってもいい。

”可愛い”時代からとうに脱皮していること皆さんもこのショーであらためて知ってくださるだろう。

     ◆このプログラムは呉児猫さんから提供して頂きました。(感謝!)


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