バーデンバーデン音楽祭1965


ザ・ピーナッツの経歴(あるいは紹介するのに)に必ず入っているのが「海外でも活躍した」とか「外国でも高く評価された」というコメントなんですが、では具体的にどういうことをしたのか、どんな評価を受けたのか、と言うことになるとほとんど皆無に近いものがあって、私は長い間これらの具体例を捜し求めてきました。
曖昧なままただ単に“海外でも素晴らしい活躍でした”なんて言っても、それはうそっぽく聞こえるから。
☆ピーナッツ・ホリデー☆をはじめてからいろんな人からレコードを頂いたり、当時の新聞記事を頂いたりしながら少しずつではありますがその詳細もボツボツとわかってきました。
私自身も当時の週刊誌などもできる限り買い集め、そういう記事が載っていないか自分の仕事以上に真剣にやってきました(笑)

そして今回新たに1965年の“バーデンバーデン音楽祭”について詳しく知ることとなりました。
今回の記事はドイツにお住まいのSchlagerさんから、ザ・ピーナッツがゲスト出演した1965年度の“バーデンバーデン音楽祭”のビデオとその音楽祭とはどういうものかということを調べて教えてくださいましたので、ここに皆さんにも見ていただくことが出来ます。
Schlagerさん、本当にありがとうございました。


◆バーデンバーデン音楽祭とは?
(以下Schlagerさんの説明より転載しました)
Deutsche Schlager-Festspieleと言うのが、音楽祭のドイツで呼ばれている名前です。
1959年に第一回の音楽祭が開催され、1970年までは、ほぼ毎年1回開催されていました。1970年以降は不定期で開催されていたみたいです。
この音楽際のモデルは、イタリアのサンレモ音楽祭だそうです。
毎年、ドイツ産の曲や、ドイツに関係のある曲から何曲か選考され、その中からさらに12曲(毎年12曲だったわけではないですが)ぐらいに選考されて、それぞれの歌手が舞台で歌われたみたいです。
世界的に有名な歌手では、1960年、61年にカテリーナ・ヴァレンテ、1965年、73年にペギー・マーチ、1068年〜70年にフランス・ギャルなどもこの音楽祭にドイツ語の曲で出場していました。

ピーナッツがゲスト出演していた1965年当時は、テレビも全国放送2局、地方局1曲のチャンネルしかなかったので、すごい数の人が音楽祭をテレビで見ていたと思われます。また放映後、出演者のレコードの売り上げにすごい影響があったみたいなので、日本の紅白歌合戦の様な感じではないでしょうか?


◆バーデンバーデン音楽祭の模様
番組は約2時間弱。
ざっと内容を言うと、オープニングの後コンテスト出場者がドイツ語で歌を歌い、自身が歌い終わった後次の出場者を紹介して行くと言う方式で12人が歌います。

その後オーケストラが12曲の出場曲のハイライトをメドレーで演奏。
審査員による採点、途中経過の発表。
ゲスト歌手の歌唱(今回は3組、ここにザ・ピーナッツが入っています)
そして優勝曲の発表と歌唱。
番組終了、と言う構成です。

◆番組を詳しく・・・

●オープニング


立派なオーケストラです。



↑二人の司会者?

●12人の出場者

パンチが売り物の頃の弘田三枝子さんのような方でした。

ペギー・マーチです。

この人は4番の人です(2曲目)
10
11
このペアも2曲エントリー。
12
12人の歌手はみんなドイツ語で歌っています。
私はペギー・マーチしかわかりませんけど、
彼女も自分自身の曲“夢見る17歳”をドイツ語で歌いました。
すごく可愛いです。
出場曲はラテンぽいのあり、ヨーデル風あり、60年代ポップスあり
フォーク風ありと、バラエティーにとんだエントリー曲で、
なんだかドイツの人の好みって日本人と似ているんじゃないかと言う気がしました。

そして、全員が歌い終えた後審査に入ります。












いかにも審査委員らしい人が紹介されます。

審査の間のゲスト歌手のコーナー







オペラ系の歌を歌っていたこの男性歌手は、今でもドイツの大物歌手で現役です。
1年か2年ぐらい前に、100歳の記念の、特番がテレビやっていたと言う恐ろしい方なんだそうです(笑)
(Schlagerさんの説明より)











時々映る会場には渡辺美佐さんのお姿も!










カテリーナ・ヴァレンテもこの年は会場でにこやかに観覧。

●そして審査の途中経過の発表!
なぜか電話で聞いてる司会者(審査委員席はどこか違う場所なのか)

●さあ、いよいよザ・ピーナッツの登場です!
司会者が何を言ってるのかは全然わかりませんが「ヤパン、ディ・ピーナッツ」だけは聞き取れました。

ステージには、日本なのか中国なのかよくわからない図柄の衝立がいくつか並び
中央からピーナッツ登場。

まず一曲目は振袖で♪さくらさくら を日本語で。

ワンコーラス終わり衝立の後ろに引っ込みドレスに早変わりして再び登場!

アップテンポに変えて♪さくらさくらを








続いて歌うのは
♪WO IST DER BOY,DEN ES ZWEIMAL GIBT?(二人の恋人は?)
もちろんドイツ語です。
なんと振り付きです!

二人がお互いを見つめ合いながら歌う様はとても微笑ましく見えます。

大きく背中の開いたドレスで歌い踊るピーナッツ
♪RED ROSES FOR BLUE LADY(英語)
♪AROUND THE WORLD(日本語と英語)

♪HAPPY YOKOHAMA(ドイツ語)

♪It's a good day(英語)
このタイトルは確証ありませんが、
当時のピーナッツのレパートリーからこれではないかと言う気がしたので
一応このタイトルを挙げておきます。

右へ、左へそして中央へと、二人のお辞儀がつま先までピッタリと合って
今更ながらあらためて感動モノです。

ザ・ピーナッツの出演時間は約10分くらい。
おしゃべりは全く無かったですけど、
その分歌で存分に魅力を振りまいてくれたステージでした。
客席からも多くの拍手が寄せられていました。





3番目のゲストの男の人は、Freddy Quinn(フレディー・クイン)と言う人で、50年代半ばから60年代にすごい大人気だった歌手と俳優で、時代背景と人気からいうと、カテリーナ・ヴァレンテの男性番(人気はそれ以上かも)みたいな感じだったと思います。
1956年にユーロビジョン・ソングコンテストにも出演されてたらしいです。
(Schlagerさんの説明より)










さて、いよいよ審査結果の発表の時間。
審査員の皆さんがステージに集まって来ました。










優勝者のためのメダルでしょうか・・・。

最終結果!
6番のペギー・マーチがダントツで優勝しました。

ペギー・マーチさっそうと登場!
カメラもいっぱい。

ペギー・マーチ本当に可愛いです。
たしかこの人は日本語でも「夢見る17歳」歌ってましたよね?
他にも「ローマの雨」とか「若いってすばらしい」もありました。
アメリカよりも日本やドイツの方が人気があったのかな。

番組の最後には出演者の所に「The Peanuts」の名前も!

これで“バーデンバーデン音楽祭1965”は終わりました。
“バーデンバーデン”と言うのは地名で、温泉保養施設などがあるところらしいですね。
番組を見て驚いたのは、客席にいる人たちが男性はタキシード、女性はイブニングドレスを着ていて、さらにテーブルには料理との飲み物、サービス係のような女性の姿も見られることです。
優勝者を決めるコンテスト音楽祭にゲストとして招聘されるという事は人気と実力、話題性も必要ですね。
このときのピーナッツはそれらが重なって出演が決まったと言う気がしました。
さて、この音楽祭の出演後ピーナッツは帰国せずフランスに向かいました。
フランスでレコーディングの仕事が待っていたのです。
もちろんフランス語で歌うんですが、それはまた別の機会と言うことで、次は帰国後のピーナッツの談話をどうぞ。
エミ まず、西ドイツのフランクフルトに着いたの。
そこでいったんおりたわけ(笑)そして記者会見・・・
ユミ 凄い人だったわね。
昨年はまだピーナッツのことをあまり知られていなかった為に人も少なかったんだけど(笑)
エミ 去年レコーディングした曲がヒットしたらしいのよ。
それで記者が多く集まったと思うの。
空港に着いたとたんでしょう。ちょっと驚いちゃった・・・。
ユミ レコーディングした曲は“スーベニール・トーキョー”っていって「東京からのおみやげ」というの。
エミ そこで又、レコーディングしてきました。
エレクトローラというレコード会社で4曲。
ユミ 私達、感じたんだけど、ドイツって簡単なものが流行するらしいの。
むずかしい曲じゃなくて。
ビートルズの影響は凄いわね。
エミ 日本のスケジュール見てドイツへ行ったら仕事が凄く入ってるの。
だから遊ぶ時間はあまりなかったけど、ミュンヘンでティーンエイジャークラブに行ったの。
ユミ 去年もそのクラブに行ったけど私達あまり知られていなかったでしょう。
エミ ところがレコードがヒットしたおかけで今年は大変だった。
ピーナッツが来たって言うので引っぱり出されちゃって・・・。
ユミ 踊れ踊れっていうの。
そこはね、バンドじゃなくてレコードをかけて踊ってるの。
お酒飲んだりタバコ吸ったりでモウモウなのよ。
皆んな若い人ばかりで服装もラフで床に座ったりしてるし・・・。
エミ 踊りっぱなしだけに疲れちゃって・・・(笑)
この時ばかりは年を感じたわよ(笑)
ユミ そうなのよ。
ドイツでは私達15、6才だもの。
踊っている人はハイテイーンでしょう。
元気のいい事といったら(笑)
記者 バーデン・バーデン・フェスティバルというのは?
エミ ドイツのサンレモみたいなものなの。
去年はカテリーナ・ヴァレンテがゲストで出たの。
で、今年はザ・ピーナッツだったわけ(笑)
それで、会場は小さいの。
日本の日劇とか日比谷公会堂みたいに大きくないの。
でもお客は全部礼服よ(笑)
ユミ なにしろ会場といったら凄いの。
通路はすべてパーッとジュータンが敷いてあって・・・そこには両側に兵隊さんみたいなのがピッと立ってて・・・。
エミ 車からおりて歩きはじめると敬礼してくれるの。
そしてカメラマンのフラッシュがパッパッと・・・。
ユミ つまりオーバーにいえばアメリカのアカデミー賞の時の情景っていえば大体想像していただけるかしら・・・(笑)
エミ そうそう。あれよ。
ものすごく感激しちゃって、日本の人にも見てほしかったナ・・・
ユミ そこで拍手のことなんだけど、ピーナッツに最も多く来た様な気がするんだ(笑)
エミ ほんとヨ。皆んな凄い衣装でしょう。
ピーナッツは着物、日本って着物があるからいいわ。
ちっちゃいのが二人、毛皮なんかサーと肩にかけたって全くダメだもの・・・(笑)
ユミ さて、歌は(笑)5曲メドレーで歌ったんだけど、1曲目だけ着物で歌ったの。
エミ もう感激のしっぱなしだったわね。
ユミ ほんとね。
エミ それが終わってからハンブルグのテレビに出たの。
タイトルは“スタジオB”っていうの。
この番組はレコードを売る為のもので一流しか出られないらしいの。
そして毎週やるんじゃなくて一ヶ月に1回位だって。
だから、この番組に出る為に、歌手の人は一生懸命だって、ジルベール・ベコーも私達と同じ番組に出てたらしいの。
私達は日程がないのでVTRだったんだけどすべてレコードでやるの。
ユミ 日本の場合だと音をとっておいて、声をいれるでしょう。
エミ 去年のテレビは大々的で局としても一年に一回ぐらいのショーなんだって・・・。
だけど、設備その他は日本のほうがいいわ。
でも、レコードやそのテレビのおかげでドイツでは有名になっちゃった。
ドイツにいる日本人が嬉しい嬉しいっていってくれるのよ
ユミ ドイツ人て性格が日本人に似ているような気がするわ。
だからかしら、やりいいの。
エミ そうね。

おまけ
多分このとき歌ってる写真だと思いますが、
マッチ箱のデザインにピーナッツの写真が使われていたという品物です。



1965年当時の雑誌“POPS”による“スター海外武者修行”


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