C-23547
A面 GOLDEN TOWN
B面 ZUCKERSÜSS WIE ANANAS
◆ザ・ピーナッツのドイツ盤シングルはこのレコードで最後のようです。多分。
思えば日本で人気歌手として2本のテレビ番組のレギュラーを持ちつつ、全く別の土場でスタッフ等周りの環境も違うところで活動を続けると言うのは、我々には考えも及ばないくらいのプレッシャーとストレスがあったのではないでしょうか。
 日本での人気をそのままヨーロッパに持っていったとしても、それがそのまま受け入れられるとは考えにくい事は明らかで、あくまで現地の人のために現地の言葉で勝負したから支持も得たのではないでしょうか。
とは言っても昭和40年代(1965年以降)になってからは雑誌の人気投票などでも上位に入ることは無くなってきたようですが。

 



GOLDEN TOWN
黄金の街
ZUCKERSUSS WIE ANANAS
砂糖のように甘いパイナップル

数万の人達が 街の通りを歩いている
ゴールデン・タウンで私と一緒
誰も今日は私の心を解かってくれない
大きくて見知らぬ街 ゴールデン・タウン

あなたは遠い
時間のように終りも無く遠い
ゴールデン・タウンの素晴らしい時

私は一人ぼっちで行かなくては
この大きな通りを
ゴールデン・タウンのどこかを

いつか会えるよ
ゴールデン・タウンの私のところで

あなたは遥か遠く
時間のように終りも無く遠い
素晴らしい夢のように黄金の夢の中
私は一人ぼっちで行かなくては
大きな通りを抜けて
ゴールデン・タウンの何処かを

いつか会える
ゴールデン・タウンの私のところで
ゴールデン・タウンで
黄金の街で

     

お砂糖みたいに甘いパイナップル
あなたのキッスはそうなの
とてもステキ
若い女の子はそれが大好き
あなたとキッスをする子は
もっとキッスが欲しくなる

お砂糖みたいに甘いパイナップル
あなたのキッスはそうなの
とってもステキ 楽しいわ

だから私達は朝早くから市場の
あなたの側に行列をつくるの
ただただあなたのキッスが買えるからなの

バ バ バ、、、

お砂糖みたいに甘いパイナップル
あなたのキッスはそうなの
とてもステキ
でもとても危険なこの遊び
危険過ぎるわ 危険過ぎるわ

お砂糖みたいに甘いパイナップル
あなたのキッスはそうなの
とてもステキ
だけど選ばなくちゃいけないの
女の子には楽しいの
あなたのハートを私に下さいな
そしてキッスも!

お砂糖みたいに甘いパイナップル




1970年代に入った日本の歌謡界で欧陽菲菲をはじめアグネス・チャン、テレサ・テンなどみんな日本語で日本の歌謡曲を歌って人気を博したものです。

 そう考えるとザ・ピーナッツの海外での活動も、世界進出したかった事務所の志向があったにせよそれに充分応えてくれたと感じます。本当にただひたむきに歌ってきたと言う印象。
 偶然・・なのかインファントさんもおっしゃってましたが、紅白歌合戦では必ずと言って良いほど「・・・世界の桧舞台で活躍云々・・・」とピーナッツの事を紹介されていて、子供心にあまりピンときませんでした。実際向うでどう言う事してたのかよくわかりませんでした。ナベプロの会報誌には逐一詳しく載っていたようですが。
ご本人達はこれら一連の海外活動についてどう思っていたのか一度聞いてみたかった。


 この頃の人気歌手と言えば美空ひばり“柔”“悲しい酒”、島倉千代子“ほんきかしら”“愛のさざなみ”都はるみ“さよなら列車”“好きになった人”水前寺清子“いっぽんどっこの唄”“どうどうどっこの唄”あとは橋、舟木、西郷、三田・・・演歌調のものと青春歌謡と言われたものが主流で、その他にはムード歌謡コーラス、その後GSへと続いててピーナッツをはじめとするカバーポップスから始めた人達はみんな行き詰まっていた頃なのですよね。
そんななかでも“ローマの雨”や“恋のフーガ”のオリジナル作品が大ヒットした事は特記すべきことなんじゃないでしょうか。

レコード歌手としてのザ・ピーナッツはこれで終わりましたが、海外からのテレビ出演依頼などはこの後も引退する前年まで続いていたようです。という事は外国の番組で誰か日本人の歌手を調達すると言う時にはザ・ピーナッツが一番だったと言うことなのでしょうね。


ピーナッツの海外盤へ戻る