SMC-74106
DIE PEANUTS/SOUVENIRS AUS TOKIO

◆1965年ドイツで発売されたザ・ピーナッツの最初のLP。(って言っても何枚出たのかな?)
なんと全曲ステレオ録音です。
A面4曲目“ウナ・セラ・ディ東京”とB面4曲目“あれは十五の夏祭り”
日本で発売された過去のシングル盤がそのまま収録されています。
そのほかの収録曲は、シングルとして発売された
Happy Yokohama/Wo ist der Boy, den es zweimal gibt?
“Souvenirs aus Tokio/Hey Kap'ten, fahr' nach Hawaii”
“Heut' Abend/Nagasaki-Boy”
“Ein weises Pony/Schwarzer Peter”
以上の4枚8曲とLP用?に吹き込まれた
“BLUES OF TOKYO”
“TOKYO BY NIGHT”の2曲。
(この2曲は“ザ・ピーナッツ・ドリーム・ボックス”と“ザ・ピーナッツ全集”にも入っています)の全12曲です。
音源は同じ物のようです。
実はピーナッツのドイツ語のレコーディングには謎が多く、現地ドイツのスタジオで吹き込まれたものもあれば、
日本のキングレコードでレコーディングされたものもあるようなのです。
実際“Heut' Abend/Nagasaki-Boy”などは日本のボックスに入ってるものとこのLP(シングル盤)のものと
歌い方が微妙に違うので、日独両方でレコーディングされたようなんです。

◆ジャケット裏にはびっしりとピーナッツについて何か書かれているようなんですけどドイツ語のため翻訳不能・・・。誰か訳してくれる人いないかな・・・。

◆ジャケット裏面の解説を翻訳していただきました。
こちらをどうぞご覧下さい。(2004年7月14日更新)
翻訳だよ!

ある方からピーナッツがドイツへ行く頃の雑誌の記事を送ってくださったので、順を追って整理しましょう。
◆ザ・ピーナッツのヨーロッパでの活動を中心に1965年5月の一週間のスケジュールです。
1963年 12月 ウィーンでの“カテリーナ・ヴァレンテ・ショウ”に招かれる
1964年  5月 演出家ミヒャエル・フリッカー氏に気に入られ、彼の製作による“ショー・ビジネス・イン・ジャパン”に招待される。
1964年  秋 ◆ユーロビジョンの大晦日特別番組“ニューイヤーズ・イブ”にホステス役として出演。
《ピーナッツ談話》
『1時間の番組に一ヶ月間も毎日午前10時から午後4時までみっちり稽古だった
ピーナッツの衣装だけで300万円もかけたの。』
この言葉通り素晴らしい内容のものができあがり、視聴者の要望で2度も3度もヨーロッパで再放送された。

◆また、他の資料からは・・・
『今度のテレビ「スマイル・イン・ザ・ウエスト」出演では、決して日本的エキゾチシズムを売りものにはしなくて、あくまで彼女達の歌とショーマンシップで、ジルベール・ベコーやその他のヨーロッパのスター達と渡り合ってきた。
“セントルイス・ブルース”や“アレキサンダース・ラグタイム・バンド”などのジャズを十数曲歌ったが、着物姿は1シーンだけであとは全部ドレスで通した事からもフジヤマ・ゲイシャスタイルで受けたのではない事が想像できる。』『流行歌の世界/安部寧著』
1965年 5月第3週 5月28日から6月3日までの一週間、日劇のワンマンショウ“ピーナッツ・ホリディ”とその後のヨーロッパ行きを控えて、テレビ、ラジオのレギュラー番組を一ヶ月分まとめ撮り。
      5月23日(日) 午後3時、天皇、皇后、皇族方の芸能を鑑賞する会に、アイ・ジョージと共に出演。
“ウナ・セラ・ディ東京”を歌う。天皇陛下の前で歌うのは初めてだが「別に緊張してアガルような事もなかった」そうだ。

午後5時、日劇三階の稽古場で、踊りの稽古。
      5月24日(月) 午後3時、キングレコードでヒット賞授賞式。
「ドミニク」と「ウナ・セラ・ディ東京」が受賞。

式の後、スタジオで西ドイツで売り出すレコードの吹き込み。
「ホイト・アーベント」「ナガサキ・ボーイ」の2曲を西ドイツからやってきたキースリング氏の立ち合いのもとに歌う。
2曲ともステレオ、モノラル両方で吹き込み、終わるまでに2時間かかった。

レコーディング終了後再び日劇の稽古場へ。
      5月25日(火) 午前11時から午後5時までフジテレビの「ザ・ヒット・パレード」の2週間分のビデオ撮り。
午後5時から午後8時までピーナッツだけがドイツに行っている間の分も撮っておく。
午後8時、休憩。
午後9時から翌々週分の録画・・・・
      5月26日(水) 午前零時、まだフジテレビの録画が続いている。
ピーナッツはこの録画のために8回衣装を替えている。
午前4時過ぎ録画終了。
午後1時、日劇の稽古場へ。
      5月27日(木) 午前11時、ニッポン放送でレギュラー番組の一週間分録り溜め。
午後1時半、日劇の稽古場で総稽古。
せまい稽古場に日劇オーケストラ、スマイリー小原とスカイライナーズ、ブルー・コメッツの三つのバンド、スクールメイツのコーラス、タイツ姿の日劇ダンシングチームの踊り子たち、数十人の男性舞踏手と200人近くの人間がひしめき合う。
その熱気でムンムンする中をピーナッツは、棒付きアメをしゃぶりながら元気に踊りまくる。
午後6時半、狂言回しをつとめてくれる千葉信夫、南利明、E・H・エリック、左とん平らと、前日やっとできた台本を手に、セリフの稽古。
      5月28日(金) 午前5時、日劇で舞台稽古。
舞台の寸法に合わせて、出を決めたり、間をとったりして、踊りの振り付けを変えたり、セリフのやりとりを変えたりしなければならない。
マイクの位置がどうしても具合が悪いときは、歌やセリフを録音してしまうという事もある。
全部で9景からなるこのショーの、第一景の稽古が終わったのが午前8時。午後2時45分には幕を開けねばならないというのに。
ピーナッツはヤキモキしながら「早くしようよ」とくりかえす。入場を待つ客が日劇を取り巻く頃になってようやく舞台稽古が終わる。

午後2時45分、いよいよ幕が上がった。
ところが第三景のところで歌い終わったピーナッツはE・H・エリックとセリフをかわす事になっているのに、エリックがいつまでたっても出てこない。二人はセリフめいたことはを交わしながらなんとか間を持たせようとしたがそれでもエリックは出てこない。アドリブで「エリックさんが出てこないと間が持てないわ。何やってんのかしら」というセリフまで飛び出した。見るに見かねたスマイリー小原がオーケストラ・ボックスから出てきて「僕じゃだめですか」と助け舟を出したところにようやくエリックが現れた。
そんなこんなですっかり神経を使ったせいか、ピーナッツは胃が痛くなってしまい、急いで井本さんが薬屋に走る。
      5月29日(土) 朝、世田谷の自宅の二人だけの部屋から起きてくる。
生ジュースとパンの朝食。
外は雨が降っている。ピーナッツは雨女という。日劇の舞台に出る時は必ず雨が降るのだそうだ。
午前1回、午後2回の舞台を終えて、母親の手作りの食事をとる時はもう9時近くなっている。
1965年 6月6日 西ドイツで開かれた『バーデンバーデン音楽祭』に出演のため西ドイツへ。
その後西ドイツ、フランスでテレビ出演、レコード吹込みなど。
◆5月23日から29日までの一週間の出来事は、週刊文春1965年から1966年にかけて連載された立花隆氏の「この人と一週間」という記事によるものです。各界の著名人を一週間密着すると言う連載でその中の一つにザ・ピーナッツがありました。
尚このページに転載するにあたり、少し編集させていただきました。

◆それにしてもまあ、なんて忙しい一週間なんでしょう。毎年恒例の日劇「ピーナッツ・ホリディ」とヨーロッパ行きが重なり、舞台稽古(前日まで台本ができ上がってこないと言うのもすごい話)、レコーディング(しかもドイツ語)、テレビ、ラジオの録画撮り、誰が見たってよくやるなと思いますよね。全盛期のピーナッツはこんなの当たり前だったのでしょうか?

◆実はドイツの方が作ったあるホームページに、ザ・ピーナッツの事を取り上げているものがあって、以前掲示板にもそのことが出ましたが、ドイツにお住まいのOKADAさんという日本人の方がそのページを日本語に訳してご自身のページで紹介しています。ドイツ人の側から見たザ・ピーナッツのことが書かれていて興味深いので、是非ともそちらもご覧ください。これは元々「memory」という雑誌からの転載のホームページです。

◆OKADAさんのメールより

HPの作者からのシュテッフェンからのメッセージに次のような一節がありました。
------
ピーナッツは素敵だ。ピーナッツのドイツ版のシングルはとっても楽しくって可愛ら しかったので、ピーナッツのCDがないのは残念。日本ではCDは出てるのかな? (これには返事してあります!)

ピーナッツは1989年にもう1度シングルを出してます。「Peanuts ist Musik / Alte Zeiten erleben」(ピーナッツは音楽だ/昔を体験しよう」(HDN 89087)。で も、それ以上のことは知らない。20年以上もたってどうしてこういうことになった のか、、、、
-----------
シュテッフェンは、今のJpopも好きだと言っています。ピッツィカート・ファイ ブのCDは沢山持っているとか。
memoryの責任者のマンフレッド・ギュンターも、 「ピーナッツのレコードを手に入れるのはとても難しいです。
一度CDが出たってこ とは聞いたことがありますが、それももう手に入りません。」 と言っています。

【ドイツで活躍したザ・ピーナッツ】

◆尚最後に、今までドイツ語盤のレコードの歌詞を訳してくださったYさんとTさん、その御家族の皆さん、本当にありがとうございました。欧米のレコード盤には日本のようなジャケットや歌詞が印刷されているものはほとんど無く、今回の一連の作業は全部聞き取りによるものにならざるを得ませんでした。大変なご苦労だったと思います。
 Yさん達は上記のドイツ語のページも訳してくださいましたが、その訳していただいた内容は上記のOKADAさんのページとほとんど変わりません。OKADAさんは元になるドイツの方に了解を得てご自分のホームページで日本語訳を掲載されているので、私もOKADAさんのページで日本語訳を拝見させていただきました。


ザ・ピーナッツの海外盤へ戻る