KICS-2303.2304
ザ・ピーナッツ・シングルス
モスラの歌
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★シングルスの第4集です。
昭和43年10月発売の「ガラスの城」から昭和50年3月のラスト・シングル「浮気なあいつ」までと引退後の昭和53年5月に出た「モスラの歌」までの18枚のシングルが収録されています。
★解説書にオリコン・チャートが載っていますので参考として書きとめておきます。
■悲しきタンゴ(57位)
■男と女の世界(96位)
■東京の女(47位)
■大阪の女(48位)
■サンフランシスコの女(53位)
■リオの女(91位)
■さよならは突然に(27位)
■指輪のあとに(57位)
■情熱の砂漠(34位)
■気になる噂(92位)
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DISC-1
- ガラスの城
- 悲しきタンゴ
- 哀愁のヴァレンティーノ
- 野いちご摘んで
- 男と女の世界
- 東京の女
- 大阪の女
- なんの気なしに
- サンフランシスコの女
- リオの女
- さよならは突然に
- 指輪のあとに
- 情熱の砂漠
- 気になる噂
- 愛のゆくえ
- お別れですあなた
- 浮気なあいつ
- モスラの歌
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DISC-2
- たった一度の夢
- 愛しい人にさよならを
- 夕陽に消えた恋
- ついて行きたい
- しあわせの誓い
- 愛が終ったとき
- 青白いバラ
- 北国の恋
- ロンリー香港
- 恋のカーニバル
- 夜行列車
- 最終便
- あの時、もし
- ひとり暮らし
- さよならは微笑んで
- 季節めぐり
- よこがお
- インファントの娘
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いよいよザ・ピーナッツのシングルスも最後になりました。
この間のピーナッツのシングルはB面も含めて全てオリジナルの歌謡曲になりました。
これより前の第3集でもふれましたが、この時期、外国の曲のカヴァーというものがなくなり、ほとんど全ての歌手がオリジナルを歌うようになっています。(シャンソン、カンツォーネなど一部を除く)
ただ、LPではおもいっきり素晴らしい歌声を披露してくれています。「フィーリン・グッド」、「世界の女たち」、「ザ・ピーナッツ・オン・ステージ」など。
そして長年ザ・ピーナッツの曲の大半を担当してきた宮川泰氏の作曲がぐんと少なくなり、A面に至ってはラストの「浮気なあいつ」の1曲のみ、B面では、「たった一度の夢」、「ロンリー香港」、「よこがお」の3曲にとどまっています。かわってこの時代の新しい作家人たちがピーナッツに新しい世界を提供しています。
沢田研二、クニ河内、中村泰士、加瀬邦彦、鈴木邦彦などで、みんなに共通するのは、元、そして現在も歌手出身だということではないでしょうか。既成の作曲家にない新しいフィーリングが求められてきた時代だったのかもしれません。(鈴木邦彦氏に関してはよくわかりません。朱里エイコの「北国行きで」の作曲者ですが。)ヒット・チャートを見る限りでは大ヒットというものはありませんが、現在でもいろんな方面で取り上げられている秀作ぞろいだと思います。
この時期の歌謡界はめまぐるしく変動していて、グループサウンズが終焉を迎えると同時くらいに「ピンキーとキラーズ」が登場し日本中を席巻しました。その後新しい若手歌手が次々と出ては消え3年持てば良い方だったのではないでしょうか。あれだけの人気だった「天地真理」でさえ紅白には3回の出場に終わっています。(47年〜49年)。天地真理さんを比較として出したのは知名度が高いと思ったからで、悪い意味でとらないでくださいね。私は彼女も大好きです。
そんな状況で常に新曲を出し、チャートインさせていたピーナッツはやはり偉大な歌手だったといわざるをえません。この当時16年のキャリアというものはものすごく長く大変なことでした。
今でこそ「・・・30周年」とか「・・・35周年」などと当たり前のように言っていますが、これはただ年月がたっただけのあまりたいした意味を持っていない歌手が多いと思うんですよね。
後期にもその実力と安定した人気・活動に対して昭和48年には「日本レコード大賞制定15周年特別賞」、「日本歌謡大賞・特別賞」をまた翌昭和49年には「第3回東京音楽祭・世界大会で銀賞受賞」という栄誉にも輝いています。
ただ、この受賞が引退を遅くしたと引退会見で言っていましたが、はじめから15年くらいでやめたいというのがあったそうで、そうだったんですか。と我が耳を疑いました。一生とまではいかなくても、年に一度ぐらいでいいから素敵なショーを開いて、ファンを楽しませてほしかったなというのが本音です。
ただ、引退後は見事に退いて、多くの歌手がいったんは引退しておきながら、ふたたび戻ってきているのをみるとザ・ピーナッツはその潔さでも惜しいと思う反面、このままもう出てこなくても良いかななんて思ってます。 |
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